労働条件の不利益変更に対する労働者の同意について、自由意思に基づいてされたと認められる合理的な理由が客観的に存在することが必要と判断した事案(最高裁平成28年2月19日判決)

1.事案の概要

 信用協同組合A(A組合)と信用協同組合B(B組合)が合併するにあたり、A組合の職員に関する退職金の支給基準等が、A組合の職員退職給与規程(旧規程)から合併に伴い新たに定められた退職給与規程(新規程)に変更されました。その結果、退職金が0円等になった旧A組合の職員ら(旧A職員ら)が、合併後のB組合に対し、旧規程に則った退職金の支払いを求めたのが本件です。
 なお、旧規程や新規程への退職金の支給基準等の主な変更内容(本件基準変更)は、以下の通りでした。①②により退職金額が減少する一方で、③控除はそのまま維持(+控除費目を追加)された結果、新規程での退職金額は、旧規程での退職金額に比べて著しく低くなり、中には控除額が上回り支給額0円になる職員もいました。

  1. 計算の基礎となる基礎給与額を2分の1に減額
  2. 基礎給与額に乗じる係数に新たに上限を設定
  3. 旧規程からの「内訳方式」(別途支給される厚生年金給付額を退職金総額から控除する方式)はそのまま維持した上、企業年金解約時の還付金を控除費目として追加

 また、③に関し、B職員については従前から「内枠方式」は採用されておらず、企業年金保険にも加入しておらずその控除もありませんでした。そのため、旧A職員らとB職員間の不均衡も生じていました。ただ、合併協議段階において、一旦、A組合が旧A職員らに示していた「同意書」案には、旧A職員らに支給される退職金額については元々のBの職員(B職員)の退職金の支給基準と同一水準とすることを保障する旨が記載されていました。
 以上のような変更内容について、A組合は、合併に当たり、旧A職員らを対象とした職員説明会を開催し、基準変更後の退職金額を説明したり、具体的な退職金額見込額を記載した退職金一覧表(但し普通退職を前提に試算したもの)を示す等しました。その上で、A組合は、旧A職員らに対し、本件基準変更への同意が合併実現のために必要であると説明し、結果、旧A職員らから個別に「同意書」(本件基準変更への同意)を取得していました。

2.主な争点

 本件基準変更(退職金の支給基準等の旧規程から新規程への変更)は、いわゆる労働条件の不利益変更に当たります。ただ、B組合(A組合)では、対象となる旧A職員らから「同意書」を取得していたため、その有効性(同意の有無)等が争われました。
 原審(東京高等裁判所)では、旧A職員らは、退職金一覧表を示されたことで本件基準変更後の当面の退職金額とその計算方法を具体的に知っていたものであり、同意書の内容を理解した上でこれに署名捺印したのであるから、本件基準変更に同意したものということができるとして、旧A職員らの請求を棄却しました。
 本件は原審の判断を不服とした旧A職員らが上告したものであり、最高裁の判断が注目されました。

3.判決の要旨

  1. (1)

     最高裁は、まず、労働契約の内容である労働条件については、労働者と使用者との個別の合意によって変更することができるものであり、これは労働条件の不利益変更であっても異なるものではないという原則論を示しました。
     ただ、その労働条件の変更が賃金や退職金に関するものである場合には、その変更を受け入れる旨の労働者の行為があるとしても、その行為をもって直ちに労働者の同意があったものとみるのは相当でなく、その変更に対する労働者の同意の有無(有効性)についての判断は慎重にされるべきとしました。その理由として、労働者は使用者に使用されてその指揮命令に服すべき立場に置かれており、自らの意思決定の基礎となる情報を収集する能力にも限界があるためとしました。
     その上で、具体的に労働条件の変更に対する労働者の同意の有無(有効性)を検討するにあたっては、その変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無だけではなく、①その変更により労働者にもたらされる不利益の内容・程度、②労働者によりその行為がされるに至った経緯・態様、③その行為に先立つ労働者への情報提供や説明の内容等に照らして、その行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点から、判断されるべきと判示しました。

  2. (2)

     そして本件では、①本件基準変更は、旧規程であれば支給されたはずの退職金が、新基準であれば0円となる可能性が高いものであった上、B職員との間でも著しく均衡を欠くものであった等と、その変更により労働者にもたらされる不利益の内容・程度が極めて深刻であることを指摘しました。
     また、②旧A職員らが「同意書」に署名捺印した経緯について、実際には上記の通りB職員との間には不均衡が生じるにもかかわらず、A組合が旧A職員らに示していた「同意書」案にはB職員の退職金の支給基準と同一水準とすることを保障する旨が記載されていたこと、本件基準変更への同意が合併実現には必要である旨の説明がなされていたこと等、旧A職員らが本件基準変更について正確に理解できないまま署名押印を余儀なくされた状況があったとの趣旨の指摘をしました。
     そしてこれらの事情を踏まえた上で、③旧A職員らが本件基準変更に同意するか否かについて自ら検討し判断するために必要十分な情報が与えられていた(労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在した)というためには、基準変更の必要性等についての情報提供や説明だけでは足りず、本件基準変更によって旧A職員らに対する退職金の支給について生じる具体的な不利益の内容や程度(新基準では退職金額が0円になる可能性が高いこと、「同意書」案の記載とは異なりB職員との間で著しく均衡を欠く結果となること等)についても、情報提供や説明がなされる必要があるとしました。
     然るに原審では、旧A職員らが「同意書」に署名押印したことをもって同意があったと判断してしまっており、上記のような①不利益の内容等や②署名押印に至った経緯について十分に考慮しておらず、旧A職員らの「同意書」への署名押印がその自由な意思に基づいてされたと認められるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からの審理を尽くしていないとして、原審の判決を破棄し、審理を原審に差し戻しました。

  3. (3)

     なお、本件では上記の他にも、A組合が合併に当たり、退職金の支給基準等の旧規程から新規程への変更についての労働協約も締結していたため、その労働協約の締結による労働条件変更の効力も争われました。ただ、最高裁はこの点についても審理不尽があるとして原審に差し戻しています。

4.考察

  1. (1)

     一般に契約は、公の秩序や強行法規に反しない限り、当事者が自由に締結することができ、その内容も自由に定められるとされています(契約自由の原則)。労働契約においてもその例外ではなく、労働者と使用者の合意によって自由に定められるのが原則です。法律上も、労働者及び使用者はその合意により労働契約の内容である労働条件を変更することができるとされています(労働契約法8条)。本判決においても上記原則がまず冒頭で示されています。

  2. (2)

     ただ、そうはいっても、労働者と使用者とは常に対等ではありません。労働者は使用者に使役される立場にあり、また一般に使用者に比べて情報収集能力に限界がある等、構造的に弱い立場にあります。使用者から求められれば十分な検討もできないままこれに応じざるを得ないという場合も少なくありません。そのため、過去の裁判では、このような労働関係特有の労働者の立場等に鑑みて、労働者保護の見地から、上記原則は修正を試みられてきました。
     例えば、労働者による労働契約に基づく退職金債権の放棄の意思表示の有効性が争われた事案においては、当該意思表示が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在することが必要と判示されました(最高裁昭和48年1月19日〔シンガー・ソーイング・メシーン事件〕)。
     また、労働契約に基づく賃金債権を使用者の労働者に対する債権と相殺する旨を合意した労働者の意思表示の有効性が争われた事案においても、上記同様の判示がなされています(最高裁平成2年11月26日判決〔日新製鋼事件〕)。
     要するに、賃金債権や退職金債権について放棄等の処分をさせるためには、単に労働者が同意したという事実だけでは足りず、それが自由意思でなされたと確認できる「合理的」な理由が必要であり、かつ、その理由が「客観的」なものであること(単に使用者が「合理的な理由がある」と思っているだけでは駄目)が必要ということです。例えばある月の賃金について少額の過払いがあった場合に、翌月の賃金からこれを相殺する旨合意すること(いわゆる調整的相殺)は、過払いである以上、いつかは返還しなければならない金銭であり、その方法として相殺は簡便ですし、少額であれば生活への影響も少ないですので、相殺への合意については自由意思でなされたと確認できる「合理的」な理由が「客観的」に存在するということができます。

  3. (3)

     本件は、上記各判決の事案とは異なり、賃金債権や退職金債権の処分についての合意ではなく、その前提となる労働条件の不利益変更についての合意の有効性が争われた事案です。
     今回、最高裁は、上記各判決での判示(労働者の意思表示につきその意思表示が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在することが必要)が、本件のような労働条件の不利益変更の場面においても妥当することを明らかにしました。また、その際の考慮要素も具体的に判示しました(前記2(1)①~③)。
     一般に労働条件の不利益変更については、労働者の生活等に影響するところが少なくないため、その有効性をめぐって争いになることがしばしばあります。前記の通り法律上は労働者と使用者間の合意により労働条件を変更できると規定されているため、ややもすると単に労働者から同意書を取り付けさえすれば万全と考えがちです。
     しかし本判決は、労働条件の不利益変更の場面においても、単に労働者から同意書を取り付けただけでは足りないことを明らかにしました。今後は、労働条件を変更するにあたり、それにより労働者に与える影響が大きい場合には、労働者から同意書を取り付けるだけではなく、その前に、労働者向け説明会を開催し、その中で変更内容とそれによる労働者への影響等についてできるだけ個別具体的に説明する等、十分な情報提供と説明を行うことや、拙速とならないよう、労働者において検討する時間も十分に与えることが望まれます。
     使用者側としては、労働者に与える影響が深刻であればある程、その内容について明言しづらく、曖昧のまま手続を終えたいところではあります。しかし、労働者から取り付けた同意の有効性が否定されてしまっては元も子もありませんので、その点は留意が必要です。
     労働条件の見直しを検討するにあたり、後日に変更の効力等を否定されることがないよう適切に手続を執り行いたいという企業様は、当事務所までお気軽にご相談ください。

以上