事業譲渡等指針の適用開始 ••• 事業譲渡における労働契約承継の留意点について

1 はじめに

 いわゆるM&Aに伴う労働契約の承継については、従前、これに焦点を当てた規制は、いずれも会社分割のみを対象としたものであり、事業譲渡等を対象としたものは、法律だけでなく、厚生労働省策定の指針等すら存在しない状況が続いていました。

 しかし、今般、事業譲渡又は合併に伴う労働契約の承継について、厚生労働省策定の指針(※)が策定・公表されるに至りました。同指針は、本年9月1日から適用を開始しています。

  •  ※ 正式名称は「事業譲渡又は合併を行うに当たって会社等が留意すべき事項に関する指針」です。なお、以下「事業譲渡等指針」と略記いたします。

 この事業譲渡等指針は、その内容の多くが、従前の裁判例等の蓄積を反映したものといえます。
 そのため、同指針の内容は、これまでの実務運用と大きく異なるものとはいえないものの、少なくとも、同指針の適用開始により、同指針の趣旨である労働者個人の同意の実質性の担保等に配慮した、適切な対応がより一層必要となることは明らかと思われ(※)、その意味で、実務上の影響は小さくないように思われます。

  •  ※ 同指針の存在が、裁判上、会社側の対応の適切性をより厳格に判断する事実上の考慮要素として働き得ると考えられます。

 そこで、事業譲渡における労働契約承継の留意点等を再確認する目的等でご覧いただければと思い、この事業譲渡等指針の内容を、以下、概観させていただきます。

  •  同指針は、会社以外の事業者も対象とし、また事業譲渡のほか合併についても言及していますが、実務上の重要性に鑑み、本稿では、会社が行う事業譲渡に関する内容に限定して概観させていただきます。

2 労働者との関係での留意点

(1)基本原則

 そもそも、事業譲渡は、対象事業に関する法律関係が当然に(包括的に)承継する会社分割と異なり、個々の権利・義務又は法律関係(以下「権利義務等」といいます。)を当事者間の合意で特定し承継させるものです。
 そのため、事業譲渡の場合、権利義務等を承継させるためには、その権利義務等の移転に一般的に求められる手続の履践が必要となります。

 そして、労働契約の承継には労働者の同意が必要であるというのが民法上の原則ですので(民法第625条第1項)、事業譲渡により労働契約を承継させる場合も、労働者の個別の同意が必要になります。

 この労働者の個別の同意が、事業譲渡により労働契約を承継させるための大原則であり、事業譲渡等指針においては、まずこのことが確認されています。

(2)労働契約の承継について同意(承諾)を得る際の留意点

 上記のとおり、労働契約の承継には、労働者の個別の同意が必要ですが、単に表面的・形式的な同意がなされればよいというものではなく、真意に基づく同意を得る必要があるとされています。
 そのため、事業譲渡等指針においては、獲得した同意が真意に基づくものといえるよう、同意の獲得過程において、以下の各点について留意すべきとされています。

  •  以下の事項等について十分説明し、協議を行うこと

    • 事業譲渡に関する全体の状況(譲渡会社及び譲受会社の債務の履行の見込みに関する事項を含みます。)
    • 承継予定労働者が勤務することになる譲受会社の概要及び労働条件(当該労働者が従事する予定の業務内容及び就業場所その他就業形態等を含みます。)
       特に、承継させるにあたり、労働条件を変更する場合は、当該変更について同意を得る必要があるとされている点に留意が必要です。
  •  労働者が労働組合をして上記アの協議について一部でも代理させる場合は、譲渡会社は、当該労働組合と誠実に協議をすること
  •  労働組合法上の団体交渉の対象事項(労働組合法第6条。※)について、譲渡会社は、上記アの協議を行っていることを理由に、労働組合からの適法な団体交渉の申入れを拒否できず、誠意をもって交渉に当たらなければならないこと

    •  事業譲渡に伴う労働契約の承継や労働条件の変更等は、労働組合法上の団体交渉事項に該当します。
  •  上記アの協議は、労働者から真意による同意(承諾)を得るまでに十分な協議ができるよう、時間的余裕をみて開始すること

  •  譲渡会社が意図的に虚偽の情報を提供する等して、承継予定の労働者から同意を得た場合には、当該労働者から、詐欺(民法第96条第1項)を理由として、当該同意の取消しがなされ得ること

    •  なお、同意が取り消された場合、当該同意時に遡って同意が無効となるため、当初から労働契約が承継されず、したがって、譲渡会社との労働契約が依然として継続していることを意味します。
       したがって、譲渡会社は、承継時に遡って、賃金支払義務等その他労働契約上の使用者の義務を負担し続けていたことになります。

(3)労働契約の承継に承諾しない労働者の解雇に関する留意点

 前記1のとおり、事業譲渡に伴う労働契約の承継については、これまで、法律だけでなく、厚生労働省策定の指針等すら存在しない状況であったこともあり、事業譲渡が、解雇に関する厳格な規制を回避する目的で利用されるケースがありました。

 もっとも、そのようなケースにおいては、これまで、個別事案ごとに、裁判例による労働者側の救済が図られてきました。
 こうした裁判例の蓄積等も踏まえ、事業譲渡等指針は、事業譲渡に伴う労働者の解雇において留意すべき点を、以下のように定めています。

  •  承継予定の事業に従事していた労働者が、労働契約の承継に同意しない場合、譲渡会社としては、当該労働者の雇用継続の必要性を失うことから、承継に同意しないことを理由として、解雇に踏み切ることがあり得ます。また、より端的に、当該労働者がそれまで従事していた事業が譲渡されること自体を理由に、解雇を実施することもあり得ます。
     しかし、承継に同意しないことのみを理由とした解雇や事業譲渡がなされることのみを理由とした解雇が容易に認められてしまうのであれば、承継について労働者の同意を求めた趣旨が骨抜きとなる等、問題が大きいところです。
     そこで、事業譲渡等指針は、このような、労働契約の承継に同意しないことや事業譲渡がなされることのみを理由とした解雇等、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当とは認められない解雇については、解雇権を濫用したものとして、無効となる(労働契約法第16条)と明記しています。

     なお、上記以外の場合でも、事業譲渡を理由とする解雇は、通常、整理解雇として実施されることになるため、事業譲渡等指針は、その有効性が、整理解雇に関する判例法理に基づき判断されることに留意すべきとしています。
     すなわち、いわゆる4要素、①人員削減の必要性、②人員削減の手段として整理解雇を選択することの必要性、③被解雇者選定の妥当性、④手続の妥当性(十分な説明・協議がなされたかどうか等)に着目し、総合的に解雇の有効性が判断されることになると考えられます。
  •  上記アを踏まえ、事業譲渡等指針は、譲渡会社において、(直ちに解雇に踏み切るのではなく)、他の事業部門に配置転換を行う等、当該労働者との雇用関係を維持するための相応の措置を講ずる必要があるとしています。

(4)その他の留意点 ••• 承継から排除された労働者の救済等について

 事業譲渡等指針においては、その他、承継から排除された労働者の救済等について、裁判例等を踏まえた留意点を、以下のように定めています。

  •  譲渡対象事業に従事していた従業員を一旦全員解雇したうえ譲受会社の専権でそれらの者の再雇用を行うとの合意を前提に、殊更労働組合員のみを不採用としたという事案で、裁判例においては、当該合意がそもそも当該労働組合及び組合員を嫌悪して排除することを主たる目的としていたものと推認し、組合活動を嫌悪した解雇と等しいものと評価しており、よって、当該不採用は不当労働行為(不利益取扱い)に該当すると判断しています(青山会事件・東京高判平成14・2・27労判824号17頁)。
     こうした裁判例等を踏まえ、事業譲渡等指針は、承継予定労働者の選定に際し、不当労働行為その他の法律に違反する取扱いを行ってはならないとしています。

  •  また、事業譲渡等指針は、裁判例(※)が以下の①~③のような構成等で、労働者の救済を図っていることに留意すべきとしています。

    •  ※ 事業譲渡等指針には具体的な記載がないものの、以下では、各構成の具体例として挙げることができる一部の裁判例につき、その概略をお示しいたします。
    •  黙示の合意の認定
       解散した会社の事業を、解散前とほとんど変わりない状態で、同社の代表取締役個人が継続していたという事案で、裁判例においては、解散した会社から代表取締役個人への事業の包括的な譲渡があったと評価したうえ、両者間に労働契約の承継についての黙示の合意(及びこれについての労働者の黙示承諾)があったとし、労働契約の承継を認めています(Aラーメン事件・仙台高判平成20・7・25労判968号29頁)。

    •  法人格否認の法理(※)
       多額の未払賃金支払債務を抱えた会社が、本店所在地や役員構成等が共通する別会社に対しその事業の大半を譲渡する一方、その未払賃金支払債務等は譲渡せず倒産したという事案で、裁判例においては、未払賃金支払債務等を免れる目的でなされた会社制度の濫用と評価し、法人格否認の法理により、信義則上、譲受会社は、譲渡会社と別異の法人(格)であることを主張できず、したがって、労働者に対し、譲渡会社と並んで未払賃金支払債務等を負わなければならないと判断しています(日本言語研究所ほか事件・東京地判平成21・12・10労判1000号35頁)。

      • 「法人格否認の法理」とは、概略、本来、会社は法人であり会社自身が権利・義務の主体となるため、原則として他の者が会社の義務を負担することにはならないところ、この原則を貫くことで却って不都合が生じてしまう場合があるため、例外的に、そのような場合に、他の者・法人を当該会社と同一視することで、この者・法人にも当該会社と同様の責任を負わせるというものです。
    •  公序良俗違反(民法第90条)
       事業譲渡にあたり、譲渡会社・譲受会社間で、「譲受会社に労働者との労働契約を移行させるものの、移行にあたり労働条件が相当程度下回る水準に改訂されることに異議のある従業員の移行については個別に排除する」と合意したうえ、その手段として、「譲渡会社において一旦従業員全員に退職届を提出させ、譲受会社において再雇用するという方法をとることとし、退職届を譲渡会社に提出しない者については、譲渡会社の解散により解雇する」という合意がなされたという事案で、裁判例においては、上記合意が公序良俗違反に該当するとして無効と判断しています(民法第90条)。
       なお、上記合意に基づき実施された解雇については、解雇権を濫用したものとして無効と判断しています(勝英自動車学校(大船自動車興業)事件・東京高判平成17・5・31労判898号16頁)。

3 労働組合等との関係での留意点

(1)協議等に関する留意点

 事業譲渡は、会社分割と異なり、労働組合等との関係での手続が定められた労働契約承継法(※)は適用されないものの、労働組合等との十分な協議等の重要性から、事業譲渡等指針においては、以下の各点について留意すべきとされています。

  •  ※ 正式名称は「会社分割に伴う労働契約の承継等に関する法律」です。
  • ア 譲渡会社が、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、ない場合においては労働者の過半数を代表する者との協議その他これに準ずる方法によって、以下の事項等について、労働者の理解と協力を得るよう努めることが適当であること
    •  ・事業譲渡を行う背景及び理由、譲渡会社及び譲受会社の債務の履行の見込みに関する事項
    •  ・承継予定労働者の範囲及び労働協約の承継に関する事項
    •  上記「その他これに準ずる方法」については、事業譲渡等指針において、「名称のいかんを問わず、労働者の理解と協力を得るために、労使対等の立場に立ち誠意をもって協議が行われることが確保される場において協議することが含まれる」とされています。
  • イ 労働組合法上の団体交渉の対象事項(労働組合法第6条)について、譲渡会社は、上記アの協議等を行っていることを理由に、労働組合からの適法な団体交渉の申入れを拒否できず、誠意をもって交渉に当たらなければならないものとされていること
  • ウ 上記アの協議等は、遅くとも、前記2(2)アの承継予定労働者との協議の開始までに開始され、その後も必要に応じて適宜行われることが適当であること

(2)団体交渉に関する留意点

 事業譲渡が行われるにあたって、譲渡会社の従業員にとっての雇用契約上の使用者は当然譲渡会社ですが、団体交渉に応じなければならない「使用者」(労働組合法第7条)は、判例等を踏まえますと、必ずしも、譲渡会社に限定されるとはいえません。

 この点につき、事業譲渡等指針は、それら判例等における判示内容等に具体的に言及し、以下のように留意すべきとしています。

  • ア 団体交渉に応ずべき「使用者」の判断に当たっては、最高裁判所の判例(※)において、雇用主以外の事業主であっても、「その労働者の基本的な労働条件等について雇用主と部分的とはいえ同視できる程度に現実的かつ具体的に支配、決定することができる地位にある場合には、その限りにおいて」「使用者」に当たると解されていること等、これまでの裁判例等の蓄積があることに留意すべきである。
    •  事業譲渡等指針には具体的な記載がないものの、朝日放送事件(最三小判平成7・2・28民集49巻2号559頁)を挙げることができます。
  • イ また、譲受会社が、団体交渉の申入れの時点から「近接した時期」に譲渡会社の労働組合の「組合員らを引き続き雇用する可能性が現実的かつ具体的に存する」場合であれば、事業譲渡前であっても労働組合法上の「使用者」に該当するとされた命令(※)があることにも留意すべきである。
    •  事業譲渡等指針には具体的な記載がないものの、盛岡観山荘病院不当労働行為再審査事件(中労委平成20・2・20命令集140集813頁)を挙げることができます。

4 終わりに

 以上、概観しましたとおり、事業譲渡等指針は、その内容の多くが、従前の裁判例等の蓄積を反映したものであり、これまでの実務運用と大きく異なるものとはいえません。
 しかし、同指針の定めは抽象的なものも多く、対応にあたっては、個別の案件ごとに、従前の裁判例の趣旨等も踏まえた、慎重な判断が必要になります。
 事業譲渡を含め、M&Aに伴う労務上の対応つき、お悩み等ございましたら、是非お気軽にご相談ください。

以上